我が家のお稲荷さんな さいぽんです。
我が家には、お稲荷さんを祭る屋代(やしろ)社(やしろ)があります。
幼少期は庭の一角に赤い鳥居の先に小さな神社みたいな物があり不気味に思うと共に何故ここに?
と不思議に感じていた鳥居と屋代。
今になって知った事は元々は畑で祭っていたこの屋代。
構造改善(畑の区画整理)で敷地内に仮引っ越しがしてあったのです。
その後構造改善が終わり畑が割り当てられると、その畑の一角に戻したのが今の場所。
まずは、お稲荷さんについて少し書こうと思う。
お稲荷さんは稲作・農業の神様として祭られ信仰されている。
このため豊作を願い稲作の神様として全国に広まった説があるそう。
さて、稲荷神社と言えば皆さん狐(キツネ)の神様を連想すると思うが本当にそうなの?
どうも、お稲荷さんって狐では無いようなのですね。
狐は神様の眷属(けんぞく)といって、これは神様の使者という意味になる。
お稲荷さん=キツネ ✕
お稲荷さん=稲作の神様 〇
なので、お稲荷さんの使いが狐となり、そんな見えない霊獣を白い狐として信仰した訳。
他にも所説さまざまありますが、さいぽんの知る所ではそんな感じ。
では、さいぽん家のお稲荷さんですが、なぜ一般民家に屋代があるのか?
辿れる家系をさかのぼってみました。
天和1年(1681年)が分かっている一番古い先祖となります。
有名な武将でもなければ名主(なぬし)関西でいう庄屋であったり、
組頭(くみがしら)でもありません。
一般的な小規模な貧乏農家となります。
その後60年ほど空白期間が生じた後、安永1年(1772年)後半に生まれた先祖の鍋次郎がこのお稲荷さんを祭ったようです。
ちなみに安永は1年(1772年)から9年(1781年)です。
なぜ祭ったのか?
これは、今こそ開けて畑や工業団地ですが、当時はうっそうとした雑多林だったそうです。
鍋次郎は少し離れた温泉に行った帰りに迷子になり、狐が家まで案内をしてくれ命拾いしたそうです。
そこで、神の使いの狐に助けてもらった事からお稲荷さんの屋代をこさえ、祭ったのでした。
なので、鍋次郎稲荷と昔から呼ばれています。
今回何故に立て替えたのかと言いますと、
この屋代ですがかなり以前に建てられ築何年か不明ですが、相当老朽化していました。
今年に入り屋代内にミツバチが巣を作りだしたため、養蜂(ようほう)家の方に取ってもらいました。
こちらは殺処分はせず養蜂してもらっていますので、あしからず。
このミツバチですが、当初は日本蜜蜂だと喜んで持ち帰ったら西洋ミツバチだったそうです。
日本蜜蜂と違って西洋ミツバチは病気になりやすく、管理が大変なのだとの事でした。
そんな事でさらに傷んだ屋代。
ただこの傷んだ屋代。
以前から元大工の近所のおじさんが気になっていたようで・・・
実は密かに採寸して新しい屋代を作ってくれていたのです。
ここにきてミツバチ騒動で止まっていた話が一気に進んでしまいました。
止まっていたのは屋根葺きの問題があったため。
屋根は銅板を用いると豪華できらびやかですが非常に高価です。
そこでガルバとかの耐腐食鋼板を使いまが、それでもなかなかな金額になります。
価格に加え、屋根葺き職人の知り合いもおらず二の足を踏んでしました。
今回たまたま養蜂家の知り合いに職人さんがいて、屋根を葺いてくれる事になったのです。
さすが元大工さん。宮大工顔負けのできばえで、釘は使わないで建築です。
屋根葺きもいいですね。
当日は稲荷神社の神主さんにお願いして、御霊抜きと新しい屋代への引っ越し神事をしました。
屋代を建造してくれた大工さん夫婦、ミツバチを取った養蜂家さんも参加です。
養蜂家さんはミツバチ駆除で屋代を開けて触ったので、祟りも気になさっていた様子。
特に何事もなく無事終了です。
そういえば、お稲荷さんは神教のほかに仏教も存在する事を後に知りました。
さいぽん家は仏教なので本来はお坊さんだったのかもしれません。
その辺は確かめようがないので、今回の神主さんで良しとしておきます。
仏教な家には神棚もあるし、畑にはお稲荷さんもあるし・・・
神様仏様はよくもまあケンカしないものですね。
「捨てる神あれば拾う神あり」なんて言い換えもある日本なので海外の方には理解できないかもしれません。
ビフォー
アフター
日本あるあるな さいぽんでした。